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PKA Ausf G-10 Gustav

(近日更新予定)
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ジェリーの設定 再考

 ナッツロッカーに対抗する新型装甲服の開発を行っていた傭兵軍陸軍中央工廠開発部は、要求を満たす為に苦戦していた。
 新兵器に求められたのは、ナッツロッカーに打撃を与えられるだけの火力と、ナッツロッカーの攻撃に耐えうる防御力であった。しかも、開発部への要求には「既存の技術力で開発・生産可能なもの」という付帯条件が付けられていた。
 開発開始時点でナッツロッカーに打撃が与えられる兵器としては、ドールハウスが搭載する182mmロケット弾か、歩兵部隊で使われている8cm中間赤外線重レーザーガンしかなかった。182mmロケット弾はランチャーと照準・誘導システムが巨大であったために問題外となり、重レーザーガンしか選択肢は残らなかった。
 重レーザーガンは重火器分隊5名によって運用されるもので、銃本体とバッテリーなどの機器すべてを合わせると100kg近い重量があった。当然AFSに搭載することは不可能であり、小型化は「既存の技術を使用」という条件に合致しなかった。
 そこで開発部は新兵器の構造を「装甲服」にすることを諦め、装甲服と同等の機動性を持つ小型の戦闘ユニットにすることにしたのである。
 開発部が目を付けたのは、地球の入植地では標準的に使われていた二足歩行トラクター「エンテ」であった。エンテは、車輌の使えない地域で、物資の輸送と、前部に装備されたマルチマニュピレーターによる農土木作業などに使われていた。非常に信頼性も高く、不整地突破能力・搭載量にも問題はなかった。
 さっそくエンテの改造が行われた。メインフレームはそのままに、操縦席とエンジンを覆う装甲板が取り付けられた。操縦席の下部には燃料タンクとレーザーガンの動力システムが搭載された。前部のマニュピレータは残され、サーチライトの代わりに多目的光学シーカーが装備された。重量の増加に対応するためにエンジンが換装されたが、脚駆動部は元々余裕がある設計だったためかほぼ無改造でよかった。
 こうしてエンテは武装化され「HAFS」の名で、傭兵軍の新兵器採用トライアルに参加することになったのである。
 トライアルの結果、シュパンダウ工科大学を中心とする開発チームによって作られたSAFSに敗北したが、同等の性能であることが評価され、SAFSの生産が安定するまでの間を埋める兵器として生産されることになった。HAFSはじきに「ジェリー」と呼ばれるようになった。
 そこで問題が発生した。エンテを製造・販売していたニーベルンゲン社からパテント侵害のクレームが入ったのである。ジェリーを構成するパーツの60%近くはエンテのコピーであり、バランサーと脚部の駆動システムはニーベルンゲン社が特許を取得していたものであった。
 戦時状態とはいえ、他社のパテントを侵害することは問題であった。傭兵軍の機材の多くは地球外の企業より購入しており、それら企業とのトラブルは戦争継続に重大な影響を及ぼすことになる。
 ニーベルンゲン社と傭兵軍による協議の結果、賠償金の代わりにジェリーの設計に関する情報が提供されることになった。ニーベルンゲン社としては、エンテのパーツが流用できる兵器システムは、金を持たない小国の軍隊が喉から手が出るほど欲しいものであり、マーケットとしては十分採算が採れるものであった。
 早速ニーベルンゲン社は新型二脚歩行戦車の売込みを開始した。顧客は多岐にわたり、その中にはニーベルンゲン社が居を構えるシュトラール共和国国防軍も含まれていた。
 シュトラール国防軍は、地球戦線で傭兵軍の新兵器AFSと戦うための装備を欲していた。対AFS兵器であるナッツロッカーは無人兵器であり、有人部隊による誘導を必要としていた。PK40やホルニッセによる空中誘導が行われていたが、天候不良の場合や、航空機による誘導が不可能な地域ではナッツロッカーの有効利用ができなかった。車輌ではAFSのカモであり、シュトラール軍の装甲服PKAでは、地上での戦闘能力と機動性に問題があった。
 そんなシュトラール軍にとって、エンテをベースとした有人歩行戦車は魅力的であった。同様の目的で使用するためのクレーテをベースとする多目的歩行作業車(のちのカングール)の開発は行われていたが、完成は半年以上先であり、今すぐ手に入るのであれば、これを使わない手はなかった。
 ニーベルンゲン社はシュトラール軍のPKAを開発・生産しているメーカーであり、歩行戦車のシュトラール軍仕様への変更はさほど時間がかからずに完了した。85年3月には最初の生産機が引き渡され、翌月には部隊配備が始められた。シュトラール軍は歩行戦車にJKA「フロウ(蚤)」と名づけた。
 ジェリーは持ち前の装甲と走破性能を生かして偵察部隊で主に使われたが、フロウはナッツロッカーの有人指揮機として使われた。双方ともに戦場で遭遇し、交戦することもあったが、双方ともに「捕獲された機体を相手側が使っている」としばらくの間信じていた。
 戦争の激化に伴い、AFS部隊や歩兵部隊に同伴する爆発兵器による火力支援機の必要性に迫られた傭兵軍は、当初はギャップを埋めるための兵器であったジェリーの改良・再生産を決定した。戦場では不要と判断されたマニュピレータは排除され、その代わりにSAFSに搭載されているのと同型のエクサイマレーザーガンが搭載された。これにより重レーザーガンは下ろされ、その場所には、汎用性の高い100mm3連装ロケットランチャーが搭載された。この100mmロケット弾は、言わば銀河標準と言っていいほど、「どこにでもあるありふれた」「信頼性が高く」「性能も問題の無い」兵器であった。(※注1)
 これらの改良にはニーベルンゲン社が直接関与していた。そのため機体各部に装備された増加装甲板はシュトラール軍のものと同規格品であった。改良されたジェリーは、F.2「スーパージェリー」として制式採用され、火力支援やそれまでと同様強攻偵察に使用された。
 もちろんニーベルンゲン社はただでスーパージェリーの開発を手助けしたわけではなかった。改良データは社に渡され、同社の歩行戦車もバージョンアップされた。しかし、エクサイマレーザーガンは傭兵軍の機密兵器でありスーパージェリー以外への搭載は成されなかった。
 当然シュトラール軍も自軍のフロウのバージョンアップを行った。改良点はスーパージェリーと同様であったが、視界の確保が優先されたため、大型のバブルキャノピが採用された。すでにシュトラール軍には有人指揮機として運用できるPKAグスタフや有人型ナッツロッカーが配備されていたため、フロウは地上部隊の火力支援機として使われることになった。機体各部は装甲が強化され、エンジンもさらに高出力のものが採用された。ロケット弾ランチャーも左右に装備された。最大の問題であったレーザーガンも、シュトラール軍はすでにエクサイマレーザーのコピー(傭兵軍は当然の事ながらパテントなんて取っていなかった!)に成功しており、外装部もスーパージェリーの設計そのままに搭載されることになった。
 強化されたフロウは、JKA Ausf E「ギガント・フロウ(巨大蚤)」と名づけられ、生産完了後すぐにフロウを装備している部隊に配備された。
 ここに至り、傭兵軍・シュトラール軍ともに、両軍共に同じ兵器を使用していることに気づいた。戦場では誤認や誤射が相次ぎ、前線部隊はいかにして識別するかを苦慮することになった。
 ジェリー/フロウの設計は、その後両軍ともに別個に進化することになった。傭兵軍はニーベルンゲン社と改めて契約を行い、ライセンス料を支払うことで駆動システムを独自開発した兵器に組み込むことが可能となった。これによりSAFSのボディシェルを組み込んだ「ゴブリン」が開発された。対するシュトラール軍も、基がエンテであるため拡張に限界があることを考え、新たにフレームを新設計したJKA Ausf G「グライフ」を開発したのである。


(ウェーブ スーパージェリー/ギガントフロウの発売により、新設定が出たので、それの辻褄合わせのたたき台)
注1:RPG-7のような兵器ということ。

伏龍 (Huku-Ryu)

(ふく・りゅう)
制式名称:無し

傭兵軍のある部隊により1機だけ改造された水中戦闘用AFS。

2886年夏、ニューギニアのとある港町は、シュトラール軍の通商破壊部隊によって封鎖されていた。
この港は、日本やフィリピンといった傭兵軍の生産拠点とオーストラリアを結ぶシーレーンの、オーストラリアへの最後の寄港地であった。
シュトラール軍は1隻の無人哨戒艇F-bootと数機のノイスポッターだけという小部隊でこの封鎖を行っていた。F-bootは港付近のマングローブに潜み、輸送船が通りかかると出撃し、レーザーと魚雷による一撃で輸送船に損害を与えると、すぐさま離脱するという、徹底した一撃離脱戦法を取っていた。
防衛部隊は小型の哨戒艇や駆潜艇でF-boot狩りを行ったが、逆に返り討ちにあい、数日でほぼ全滅してしまった。
同地で機材共に足止めを食っていたとある砲兵連隊の隊長は、現地部隊のあまりの不甲斐なさに激高し、自らF-boot狩りを行うことを決意した。
当初はドールハウスによる狙撃を試みたが、観測部隊を配置する場所が無く断念した。
その後、連隊長は現地の廃墟で発見された初期原子力時代に書かれた古文書からアイデアを得て、それを実現することにした。それは、水中に歩兵を配置し、海面を移動する船を攻撃するという破天荒な戦術であった。
現地に野積みされていたGポーンのパーツから水中活動できるAFSが1機作られた。元々機密性の高いGポーンは、そのままで水中行動が可能であったが、エンジンとパイロットが消費する空気の供給方法が問題となった。その解決方法として、17mの長さを持つフレキシブルパイプを装備するブイ付シュノーケルが装備された。
実験の結果は良好であったが、海水がかかるとシュノーケルを自動閉鎖するシステムが誤作動を連発してパイロットを殺しかけ、なおかつ水深15m以内でしか行動できないことが問題となった。このためシュノーケル装備は見送られた。
そこでエンジンを下ろし、代わりにルナポーンで使用されている燃料電池+モータシステムが搭載された。これで外見は完全にルナポーンと同一のものとなった。エンジンの変更により空いた隙間には、乗員用の酸素ボンベが搭載されたが、容量に問題があり、活動時間は1時間が限度となってしまった。少なくとも2時間の活動時間を確保する為、パイロットの呼気を循環させる閉鎖式呼吸装置が搭載された。
水中での視界は、海水の透明度が高い為に以外に広かった。しかしパイロットは目標の方向を知ることができなかった。そのため、海底にセンサグリッドを配置し、水中のAFSを目標に誘導する方式が採られることになった。
両腕はマニュピレーターとなっているため固定武装はなく、武装は浅海用に開発された85型簡易機雷であった。敷設および回収を簡易化するために、伸縮自在のロッドに弾頭を装備しており、ロッドを海底に差し込むだけで敷設が可能であった。弾頭は複合センサにより頭上を通過する船舶を探知すると、ロッド内に装備された圧搾ガスにより射出されるようになっていた。
数回の実験により有効と連隊長が判断した水中AFSは、「フクリュウ」と名づけられた。これは連隊長が参考にした古文書に書かれていた同種の兵器に付けられていた名前であった。
実戦配備は改造完了後すぐに行われ、数日後にF-bootに遭遇した。閉鎖式呼吸装置や弾頭射出装置の故障に悩まされながらも、最大限に伸長させたロッドの先端に装備した弾頭でF-bootを直接攻撃し、撃沈したのである。
作戦成功後、気を良くした連隊長は同兵器の制式採用を進言(攻撃用装備である機雷には、86式撃雷なる仰々しい名前が付けられた)した。
それに対する方面軍司令部の回答は、同地に1個小隊のファルケを配備することであった。

(某氏が製作中の水中型AFSの設定)

ナイトストーカー (Night Stalker) AFS type N

(-)

2886年8月にシュトラール軍が行った、傭兵軍の物資打ち上げ基地に対する夜襲作戦「ネッカー演習」において、傭兵軍は夜襲部隊が放棄した夜戦型PKA「グッカー」十数機を鹵獲することとなった。
自爆装置により火器管制装置や通信機材といった重要部分は失われていたが、数機から完全な形の夜間索敵・照準システムが回収された。
この機材は、機体の各所に取り付けられた光学/赤外線/紫外線/レーザなどの各センサが得た画像や情報を、コンソール上のディスプレイやヘルメットサイトに投影する支援システムであった。
シュトラール軍はネッカー演習作戦以降、傭兵軍の基地や物資集積所、夜間移動中の部隊に対する夜間襲撃を激化させており、その対策を講じる必要があった。夜間迎撃に使えるものとしては、間接視認システムを搭載するSAFSグラジエーター、SAFSの索敵能力を向上させたラクーン、グラジエーターを改造した無人歩哨戦車セントールなどがあったが、どれも一線級の機材であり、防御作戦に回せる数は少なかった。
そこで、鹵獲したシュトラール軍の夜戦機材をAFSに搭載する試みが成されることとなった。3機のAFSがそのために改造され、1機はグッカーの機材をそのまま、もう2機はレーザ/赤外線のみに特化させ小型軽量化した機材を搭載し、試験が行われた。試験の結果、小型軽量化した夜戦機材で十分な性能を有すると判定され、夜戦AFSの生産が行われることとなった。
とはいえ、すでにAFSの生産は終了しており、機材を野戦改修キット化することも難しく、AFSの夜戦化は見送られた。そこで、簡易式AFSともいえる陸戦型ルナ・ポーン(いわゆるGポーン)をベースとすることになった。
生産は2886年9月半ばより始められ、最初の生産機ははやくも9月末に実戦配備された。
最初の生産型は、ヘルメット上部にレーザ/赤外線索敵・照準システムを搭載しただけであった。画像情報はパイロットが装着する多目的ゴーグルに投影された。このゴーグルは、作戦任務中には取り外すことができないため、パイロットからは不評であったが、新たな表示システムを開発する時間が無いこともあり、このままということになった。
初期生産型はエンジンの廃熱が被発見率を上昇させるのと、僚機の索敵能力を低下させるという欠点が指摘された。そのため、第2ロットよりエンジンに代わって燃料電池+低発熱型小型発電機を組み合わせたパワープラントが搭載されることになった。さらに、パワープラント及び機体各部で発生する熱を回収し、外気と混合して排出する廃熱コンバータが機体背上部に取り付けられた。
改良型の性能は、活動時間が劣る点以外では初期型を上回り、要求を十分に満たすものとなった。10月より、予定通り夜戦AFSによる夜間歩哨部隊が編成され、各地に配備されることになった。
しかし、ただでさえAFS不足に悩まされている前線指揮官たちは、後方部隊に新型AFSが配備されることに反対し、恐喝や盗み、書類偽造といった様々な手段を講じて半ば強引に自らの部隊に機材を取り込んでしまった。
警備任務から一転攻撃用となった夜戦AFSは、実戦経験豊富な傭兵達によって強力な兵器となった。数に劣る傭兵軍は奇襲を得意とせざるをえず、少数機もしくは単機による夜間深侵入攻撃を行っていた。これらの作戦には主にラクーンが使用されていたが、それらの生産数および配備数は少なく、SAFSを改造したり、AFSのパイロットに暗視ゴーグルを装備させるといった方法で補っていた。まさに夜戦AFSは、ラクーンを補完するにはうってつけの機材であった。
戦闘部隊に配備された夜戦AFSの多くは、ラクーン同様にレーザガンを排除し、左右ともにパワーアームが取り付けられた。夜間侵入では交戦そのものを避けることが第一であり、さらに、爆薬敷設などといった作業を行うことが多いため、「手」が多い方が良いのであった。
夜戦AFSがその名を轟かしたのは、10月24日にオーストラリアで行われた夜間侵攻作戦においてであった。作戦に参加した4機の夜戦AFSは、それぞれが重さ30kgの工兵用指向性爆薬を携行し、敵哨戒線を突破して、厚さ40cmの耐爆コンクリートで防御されていた無人通信所の爆破に成功したのである。
その後も夜戦AFSは当初予定されていた防御的な任務ではなく、逆に攻撃的な任務に就けられ、いわば「親」であるグッカーと同じ任務を行うこととなり、そのグッカーや無人兵器との遭遇が増えるようになると、レーザガンを搭載した「護衛」型が作られるようになった。
夜戦AFSの生産は、当初はベースとなるGポーン10機に対して1機の割合で作られていたが、すぐに5対1となり、11月には3対1、12月には逆転し1対3の割合となった。武装型は、通常型3機に対して1機の割合で生産された。
夜戦AFSには、非公式ながら「ナイトストーカー」の名前が付けられた。これは、オーストラリアに近いバダヴィア諸島に生息するコウモリの仲間に由来している。

(AFSナイトストーカー発売記念。いつものように勝手な設定)
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